ツクモの写真を話そう No.2 理解されない写真表現

僕がシャッターを切り続けることに意味があるのかといえば、多分そんなに無いのかもしれない。惰性で表現だとか思考だとか哲学っぽい言葉を使っておけば、そんな感じに聞こえるんだろうなって思って、使っているんだろう。僕自身がそう感じてりからそうだ。

誰かに僕の写真を理解してもらえることって何度かあって、写真を買ってもらうことはあった。数万円程度になったけど生活費で大赤字になっちゃうんだよなって。僕が没何年過ぎてから評価される可能性はあるんだけど、その頃には僕はこの世にはいないんで、その恩恵は勝手に評価した知らない人たちのものになっちゃうんだなって思うと、なんのために写真を撮ってきたんだろうなって絶対、喪失感に襲われそう。死んでるからそのときには何も感じないだろうけど。

ブレッソンとか子どもたちがいれば、一族の価値になるわけで結婚したら相続させることが出来る作品ってのはロマンがあるよなって独身でいる身としては一族の誰かに管理されるほどには有名になるのは大事なのかもしれない。結婚すればいいじゃんっていう考え方もある。

それは結婚できる人間が使う言葉で出来ないやつは、本当に出来ないから困るんだよ。実際生活は歪んでいくように思うし、考え方も固まっていくことがある。コロナにかかると思考が後遺症で鈍るというのはあって、それをなんちゃらフォグというんだけど、モヤモヤしちゃう気持ちは誰でも分かるんじゃないの?

答えがない悩みを考える前のモヤッとした脳みそ。あれがコロナ後遺症なんだろうなって思う。さてそんな理解されない思考をどのようにして表現として残すのかを写真というカタチを選んだけど、写真が簡単だったから。シャッターを切り続ければ良い。

絵の具もいらないからね。画材がいらない。カメラさえあればどこで商売になる。スマホでもいいんだよ。写真表現で新興芸術であり、大衆文化になっているんだ。誰でも出来るから写真の価値は高くならないけど、写真を撮るという行為そのものは理解してもらえる。

風景や鉄道、人物など極論でいえばエッチなやつさえ映像や写真作品なんだから、どのように作品にして表現して、伝えるかが大事。いきなり、手法はなんですか?なんて聞かなくても、いや写真ですよって分かるのが写真の強み。

今の時代、写真家が写真で食わない時代になったからね。動画投稿者になってカメラレビューしてたりとか普通にするからね。写真を撮って、心を動かせる写真をあまり見たことがない。躍動的で鳥肌が立つような作品に出会ってみたい。

誰かの人生を変える1枚を撮れるかってのは、ひとつの答えなんだと思う。

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