「螺旋階段の陰」
高速道路の高架から地上へと降りるために設置された、巨大な螺旋階段。この構造物こそ、大都市、特にここ大阪の中心部ならではの、特異な風景だと感じています。
初めて目にしたとき、その存在感に圧倒されました。無骨なコンクリートや鋼鉄の構造物から、突如として渦を巻いて地面に吸い込まれていくような、流麗なカーブ。車社会の機能性のみを追求した高速道路というインフラに、まるで生命を吹き込むかのように、優雅な「らせん」が付け加えられているのです。
この螺旋階段が都市部で「たくさん存在する」のは、やはり土地の制約に他なりません。広大なスペースが確保できる郊外や田舎であれば、勾配を緩やかに保ちつつ、ゆったりとしたアプローチで降りるのが一般的でしょう。しかし、地価が高く、ビルがひしめき合う大阪の中心部では、その限られた空間の中で一気に高低差を解消する必要がある。その結果生まれたのが、この垂直に近い効率的な「渦巻き」という解決策なのです。
もちろん、「探せば田舎にもある」という意見はごもっともです。全国には地形や特殊な構造上の理由で採用されている場所もあるでしょう。しかし、大阪の中心部を歩いていると、何気ない街角や、オフィスビルの隙間、川沿いなど、ごく日常の風景の一部として、この巨大な螺旋が突如として現れる。その**「頻度」と「密度」**こそが、大都市の景観を特徴づけている、と強く感じるのです。
これは単なる機能的な階段ではありません。都市の持つ制約と、それを乗り越えようとする人間の創意工夫が生み出した、一種の**「都市の異形(イギョウ)」**。この独特の構造美こそ、大阪の中心部を象徴する、密かなアートだと私は思っています。次に街を歩くとき、この「らせん美」に少し立ち止まって目を向けてみてはいかがでしょうか。
【機材】
カメラ:FUJIFILM GFX50S II
設定:F4.5 ISO200 1/320秒
レンズ:GF35-70mmF4.5-5.6 WR
「黒い長靴」
通りすがりの一瞬、視界の隅に捉えた**「黒い長靴」の存在。それを見た瞬間、私は強烈な「撮らねばならない」**という衝動に駆られました。理屈ではありません。なぜその長靴だったのか、なぜ今この場所でシャッターを切る必要があったのか。明確な理由や論理的な説明は、後からいくら考えても出てきません。
しかし、この「なぜかは分からない」という感覚こそが、写真という行為の根源にある、最も純粋なエネルギーだと確信しています。
写真家はしばしば、目の前の被写体が発する**「気配」**のようなものに突き動かされます。それは光の加減かもしれませんし、色と色の予期せぬ衝突、あるいはモノが置かれたことによって生じる、日常の違和感かもしれません。私の場合、その黒い長靴は、おそらく周囲の風景とのコントラスト、あるいは、そこに誰かの生活の痕跡が宿っている静かな物語性を放っていたのでしょう。長靴という、泥や水、労働や生活を連想させる日常的なアイテムが、その場の光と影の中で、一瞬だけ神聖なオブジェへと昇華した。その瞬間を、私の脳と身体が「逃してはならない」と叫んだのです。
思考が介在する前の、この原始的な衝動—これこそが、単なる記録写真を超え、見る者の心に何かを訴えかける作品を生み出すための、最も重要な要素なのではないでしょうか。頭で考えた構図やテーマではなく、心と体が瞬間的に反応したその一点にこそ、その写真家の個性と視点が凝縮される。
あの黒い長靴は、私に「写真とは何か」を静かに問いかけてきました。そして、私はその問いに、シャッターを切るという行為で答えたのです。この「衝動」を信じること。それが、私の写真を撮る上での、揺るぎない確信となっています。
【機材】
カメラ:FUJIFILM GFX50S II
設定:ISO250 F8 1/80秒
レンズ:GF35-70mmF4.5-5.6 WR
