写真を話そう。AIが生み出した表現者たちの未来

人工知能。AIが生み出したのは、生成された写真や映像というものです。まだ2026年現在の品質では人のチェックは必要としますが、ある程度のAIであると分かったうえで、ブログのアイキャッチ画像やショート動画で見てる限りには、まだ未熟であることが分かります。

でも表現者である写真家にとっては致命的で稼ぎどころである写真ってより、Youtubeで機材レビューした方が稼げている写真家もいるかもしれません。そういうところには首を突っ込まず好き勝手にテキストというカタチで一方的に意見が言えるブログのほうが好きだったりします。僕がどうして写真家と名乗らずフォトブロガーとしたのか?という点ともつながってくるところなんです。

どんなにAIに仕事が奪われたとしても

AIが仕事を奪っていくわけですが、趣味というのは人間がAIに侵されることがない部分なんですよ。なぜかAIにさせたら趣味じゃないから、盆栽にしろカメラにしろオーディオにしろ書道にしろ、どんな趣味も本人が身体を動かして考えてやるから意味があるわけです。仕事をAIが奪うのは趣味の時間を作るためにあると考えれば、AIが趣味の時間を奪ってしまっては意味がありません。

どんなに仕事がAIに奪われたとしても趣味は奪われないし、その本質の楽しさ的な部分はAIは理解できても、人間と共有し合うことはありません。どんなに頑張っても個人のブランドというものを奪うことはできないのです。どんなに学習しても失敗を成功に変えることができても、人間が本来持っている個性を先駆者としてプラスを生み出すことはできません。

AIの弱点とは学習することはできても、新しい創造を生み出すことができないというところに尽きるのです。僕という存在がブランドでありコンテンツである限り、AIに奪われることがないのは写真を面白おかしく楽しんでいる僕の考え方なんです。それは侵されることがない部分。

写真家というものは今まで作品で勝負してきて、今はそれじゃ勝てないから写真の撮り方を教えているじゃないですか。でもいつかは仕事として成立しなくなるけど、ここに写真家の個性を含めると、生き残る可能性は高まります。そのへんの芸能人より私生活に興味はあるし、どのようなものを食べて、どのような生活をしているのかってすべてがコンテンツになる。

知らない芸能人よりも趣味の写真家のほうが見てて面白いというところでしょうか。逆にAIを使わない手法で、完全真反対なフイルムのようなアナログが再評価されています。いろいろな課題は残っていて、関連メーカーなどが消えていくなかで、アナログであることに意味がある。AIじゃ真似できないのは言語化できない経験の部分です。

AIが学習できないところを目指していく

AIが知らない情報というのはたくさん残っていて、学習概念では映像、画像、テキストがメインだと思います。メインとなる部分以外は逆に学習されにくく、されたとしても映像、画像、テキストでしかできないというのがAIのメリットです。今後改善される可能性はあっても、写真家にとっちゃあ、そこがねらい目となりそうですけど。

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