僕はLeicaを持っていた。LeicaM3、LeicaM10などレンズも数本と持っていた。いつしか、手放してLeicaをやめることになった。決してLeica自体が悪いかといえば、フイルムカメラとしてのライカは実際評価でき、修理できる人にも恵まれた。たぶんLeicaだけを続けていくなら正直できたと思う。
簡単にツクモ過去と現在をまとめよう。
人生の失敗
残念ながら人生を失敗した。抽象的な言い方ではあるけど、生活難になってしまった。Leicaを手放すことは検討どころか確定ルートになった。借金しても仕事しても結果的には働く、稼ぐというのは必須事項で呼吸している限り、人生が失敗しても働くことから逃れることはできず、稼ぐために労働して生活をしていく。働くこと自体が不可能になれば生活ができない、カメラを続けることができないような状態になったからだ。借金がそこそこな金額まで増えた。今でも半分を切るぐらいは残っているけど、なんとか返済は続けられているが、Leicaのカメラを購入して、続けていけるかといわれると難しい。
失敗から脱出
失敗した。じゃあやり直そう。いろいろな仕事をした、最終的には家賃すら返済に充てたいと思った、仕事も向かない。地元に帰った。Leicaはもう購入できないけど、返済はできている。Leicaを買うとしたら、何が必要?フイルムだ、現像だ…。田舎すぎて現像すらまともできない。自家現像をやったら採算が合わない。デジタルは高すぎて変えない。国産カメラを買おう。SIGMAfpと富士フイルムGFX50S2を揃えた、大判カメラも続ける。
返済しながらでも、カメラを続けられる土台は用意した。
脱出はできてないけど、少しずつ
正社員の仕事につく。仕事はつらくない。疲れるけど、精神的には疲れない。給料はそこまで高くない。でも副業が許されているのは強み。ブログを作ろうってことで、このブログを立ち上げた。Googleの広告審査が通らない。半年目にして審査に合格する。1日数円の稼ぎが発生する。←現在ここ
給料、ボーナス2回分、ブログ収益、ポイ活が収入。毎月数万円ずつ返済する。3年のうちには返済できそう。
過去と現在から未来を考える。そしてLeicaについて。
Leicaを続けることはしない。けれどLeicaがたまにたたき出す120点の写真が見てみたい。撮りたいものをそのままレンジファインダーをのぞきながら撮影する、なんとも言えない気持ち。僕は写真を撮っているんだという気持ちが忘れられない。今Leicaというブランドはスマホのレンズにも使われている。Leicaのロゴが入っているだけでブランド価値が上がる。ブランドもののバッグのような付加価値がついてしまっているけど、結果的には家電のような中身をしている。いつか壊れてしまえば使い物にならない。生産数が多ければ価値が下がる。傷やクモリ色々な要因で価値は下がる。
僕が求めているのは、Leicaはコレクションであり、Leicaはカメラであること。写真を撮るための道具であること。
2020年以降、コロナや情勢が不安定になって、転売される機会は多くなって、ブランド価値のみが独り歩きしている状態。僕が求めているLeicaと世間が求めているLeicaの認識が違ってきて、残念ながらデジタルライカを触った時に感じたのは、国産カメラのほうが安くて高性能であること。Leicaよりも使いやすいじゃん。今まで感じてきた、写真を撮っているんだ!という気持ちを感じなくなっていた。
僕は写真を撮りたい。Leicaのカメラに注いできた気持ちを感じたのは?
Leicaの魂を感じたのは、SIGMAfpという国産メーカーだった。明らかに拘り過ぎて、ユーザー目線って感じのカメラ。写真を撮ることしか考えていない。そういうカメラを生み出していたのはSIGMAだった。
Leicaも確かにLeicaM3あたりは、Leicaはユーザーのためのカメラだった。コストを削減するために安い材料を使うようになってプラスチックを使うようになって、一気にブランドだけになってしまった。Leicaのデジタルカメラから感じたのは、撮る楽しさではなかった。所有欲を満たすカメラになったんだなと。
